《Fireflies(蛍)》 The prospect of having the other do poorly did not of course please him. He had not forgotten the lady of the evening faces. He often spoke of her, and he went on wondering what had happened to the child. The lady had put him off guard with her gentleness and appearance of helplessness, and so he had lost a daughter. A man must not under any circumstances let a woman out of his sight. Suppose the girl were to turn up now in some outlandish guise and stridently announce herself as his daughter―well, he would take her in. "Do not dismiss anyone who says she is my daughter," he told his sons.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「蛍(ほたる)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。●極上和本YM2801●納方手本[納方之覚]年貢・納税関連の稀書往来物。
「蛍の巻」は、3代将軍家光の長女千代姫が婚礼調度として持参した国宝「蛍の調度」は、「源氏物語絵巻・蛍」に依拠することで知られております。●極上和本YM2885●〈冠注〉理学津梁〈一名、新実語教〉B 手島堵庵 上河淇水 天明2年・淡海治郎吉ほか板 石門心学。原文は「源氏物語・蛍の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。太平記・全5冊/明治34年/和装本/南北朝時代を舞台に後醍醐天皇の即位から2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任までを書く軍記物語。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。●極上和本YM2675●江戸和本●〈貞節教訓〉女式目(寛延4年)稀書往来物。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。聚興誠銀行 支票 漢口 中華民国 検索⇒銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印 支那 戦時 日中戦争 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 透かし 銀銭票 荘票。現在の今上天皇と系譜がつながっている。明治初期ビンテージ 古書2冊セット「上刕伊香保温泉名所旧跡 全」「新編伊香保土産B 三編上」1870〜1880年代 SMN604(7-5)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。江戸期?肉筆写本「鍼灸抜粋大成巻上之末」仏教道教秘術人体図秘伝書日本の素朴絵。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。●極上和本YM2667●本屋往来(大正11年複製)西川竜章堂 稀書往来物。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。郷土部隊写真帖/支那事変聖戦記念/陸海軍空爆日誌/昭和13年。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。●極上和本YM2922●〈新板〉手習状并含状[初登山手習教訓書・義経含状](元禄頃)稀書往来物。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。E02-152 受験本位の日本歴史 三省堂 全体的に汚れ・破れ・書き込み・記名塗り潰し有り 状態悪い レトロ。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。●極上和本YM2783●〈頭書絵入〉百性往来童子宝[百姓往来]明和8年板・早印 禿箒子作 大本最古本 稀書往来物。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。●極上和本YM2857●甲越古状揃大全[甲越古状揃]B 倉鼠陳人作 歌川芳綱 横山有裕 安政6年・蔦屋吉蔵板 稀書往来物 美本。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。い52-041 近世名流大家 真蹟書翰選集。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。C66-114 北海道水産試験場要覧 全体的に汚れ有り レトロ。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。い52-037 松月堂古流 日本生花司 伝書 解説付。また、各巻ごとの書かれた年については不明。●極上和本YM2812●新撰百人一首 西村茂樹 明治16年 西阪成一注 原装・美本 ゆうパック着払い。従って、応永五年とは、書き始めの年である。古文書「神祇道諸祓巻 上」肉筆 明治期 1点物 祝詞体系 折本 神道 経典 祝詞 神名 産土 戦前 資料 和本。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。古文書 明治三年 大里正拝命御書付 庄屋 中島家 塩田屋 天城 岡山県 倉敷。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。『訓閲集』(きんえつしゅう)は大江家と多田源氏に伝わったとされる軍学書!江戸後期ビンテージ 訓閲集軍氣巻 書三巻 古書 SMN604。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。深奥山方廣萬寿禅寺入寺拙語 安永8 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。資治通鑑 全100冊 294巻 明治新刻 東京印刷会社版。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。人形代手書き諸生靈祟悩病難除御秘符[VBp8]。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。●極上和本YM2918●〈新板〉教訓書〈并〉含状[初登山手習教訓書・義経含状](慶安4年)稀書往来物。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。和本 文中子 全4冊 深田厚齋校正 文榮堂藏版。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。鳳凰から野鳥まで幅広く載った当時の貴重な本!江戸期ビンテージ 鳥の図解本 図鑑 古書 1790年代 SMN604。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。江戸期ビンテージ 沼田根元記 沼田根元昔物語 古書 永禄年間から天正一八年までの沼田氏・沼田城の興亡を中心にすえた戦記物 SMN604。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。A_津軽旧士族蔵出文政3古言梯/再考増補標註/楫取魚彦/今津屋辰三郎。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。■『日本古代文字考(小槇舎藏版)』上下揃。落合直澄著。但し奥付に明治21年初刷奥付Copyが貼付される等幾つか瑕疵有ります。神代文字資料。。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。●極上和本YM2903●〈略註〉実語教・童子教(題簽付)辻本基定注 池田東籬書 天保15年 堺屋仁兵衛板 稀書往来物 原装題簽付・美本。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。明治? 大正? 江戸時代風? 教科書? ヴィンテージ ビンテージ アンティーク 古書 当時物 本 レア 昭和 レトロ 絵入 古美術 古文書。
出品した「源氏物語」は蛍(よこぶえ)の内容の要旨
「蛍の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【稀少!江戸期 繊細・流麗絵入多数 仏教書】親鸞聖人御壱代紀圖繪 検浄土真宗本願寺一向宗軍記浮世絵合戦国武将軍武者絵本木版画法然上人。第25帖。西伯利亜出征記念写真帖/シベリア出征記念写真帖/青島三船写真館発行/大正8年/第七師団藤井中小閣下/ロシア革命に対する干渉戦争の一つ。光源氏36歳の5月の話。1867年 葛飾為斎 花鳥山水 漫画早引 初編/「画本冠附」首編 19丁 葛飾北斎の門人 江戸和本 木版画 人物絵 絵本 和本 古書 ②E。五月雨の頃、兵部卿宮から玉鬘に文が届き、源氏はそれに返事を書かせた。●極上和本YM2815●女四書(明暦2年板・原装7冊本)辻原元甫作 往来物・仮名草子 美本 稀書 ゆうパック着払い。喜び勇んで六条院にやってきた兵部卿宮の前で、源氏は几帳の内に隙を見て袋に入れて隠していたホタルを解き放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせて見せた。K3C3-240530 レア[新刻 太平記 貞享5年刊 バラまとめて11冊セット]藤井寺合戦事 住吉合戦事。予想以上の美しさに心を奪われた兵部卿宮は想いを和歌で訴えるが、玉鬘はつれなくあしらうだけだった。●極上和本YM2763●表書字筧・続表書字筧・表書字彙(3冊)3冊揃いは稀 黒井義光 東洲 稀書往来物。その美しさにますます夢中になってしまう。再住深奥山方廣萬寿禅寺 開堂拙語 天保2 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。この逸話から、兵部卿宮は蛍宮、蛍兵部卿宮等と呼ばれる。●極上和本YM2802●収納往来(元治元年)年貢収納に関する稀書往来物。蛍兵部卿宮は変わらず熱心に玉鬘に恋文を送ってきていた。戦時 横濱正金銀行 青島支店 小切手 検索⇒支票 銀票 銀号 銭荘 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 北平 満洲帝国 満鉄 水印 銀銭票 荘票。源氏は一計を案じ、蛍兵部卿宮に色よい返事を書かせる。1948年 台湾銀行 條 検索⇒支票 銀票 銀号 銭荘 肉筆 朱印多 支那 戦時 日中戦争 中華民国 関東軍 旧日本軍 北平 満洲 満鉄 銀銭票 荘票。喜び勇んで玉鬘の屋敷にやってきた蛍兵部卿宮は、源氏が隠れているとも知らず、几帳を隔てた玉鬘に向かって対座した。旧蔵 古書 《胡氏老中醫》一套四本 宣紙 稀少珍品 中国古美味 古美術 L0420。几帳の内にホタルを放ち、玉鬘の姫君の美しさを際立たせる方法は広く知られている。当時の歴史的文献!江戸期ビンテージ 日本名山図会 谷文晁 文化九年 1810年代 SMN604。
自筆原本上部に「蛍(ほたる)」には、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。和本『四體世話千字文』全2冊 巻菱湖集字楷書 明治11年 村田海石三體/加筆 木版刷り 書道 習字 法帖 古典籍。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。●極上和本YM2767●消息詞[為長卿消息詞]寺沢政辰 正徳4年 野田太兵衛ほか板 稀書往来物 美本。源氏の君が蛍を放って玉鬘の姫君の美しさを蛍兵部卿に見せたことに由来しております。【古文書】蔵出し 大正時代 長野諏訪歌人、古歌文法秘伝抄略等覚え。「蛍」の巻の原文には、「おどろかしき光見へは、宮ものぞきたまはん」とある。安心決定鈔講話 是山恵覚 年大正5 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前明治大正古書和書古文書写本OI。五月の晩、源氏の君は玉鬘の身辺に蛍を放ちほのかな光の中に玉鬘の姿を映しだす有名な場面です。芭蕉翁發句集 上下巻 五升菴蝶夢自序編 安永三年午年七月刋。玉鬘の姫君の美しさを中国の楊貴妃を並ぶ絶世の美女と称される王昭君の美しさを現したものです。●極上和本YM2933●万字尽(大本・江戸前期)稀書往来物(木尽・花名・魚尽〈并貝尽〉・鳥尽・獣名・虫尽・青物・食物・菓子)。王昭君は、漢の王宮の絶世の美女なのに、匈奴との外交のため遠く胡国の匈奴王呼韓邪単于(こかんやぜんう)へ送られる。■『人肉質入裁判(全)』英國西基斯比亜氏(Shakespeare)原著。井上勤翻譯。明治20年鶴鳴堂發兌。■日本で最初に翻刻の第3版。。白楽天の五言絶句「王昭君」の漢詩で詠われている。■『假字本末(全部四冊)』伴信友遺稿。嘉永3年(1850年)後刷。皇都三書堂梓。■附録神代字辯に於て神代文字等は朝鮮の諺文だと謬論を展開。。「玉鞍」は、ヒスイの宝石で作った鞍です。成親王萬个山房 経折本 遜記書荘 検索⇒玻璃版 原寸大 珂羅版 墓誌銘 支那 朱印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 拓本 翁方綱 董其昌。現代語訳にすると「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた。「頭書 西谷名目」/寛文8年版後刷?/銭屋半左衛門発行/4冊。」というものです。千利休 織田信長 豊臣秀吉 伊達政宗『茶家酔古集5冊揃』絵入り 茶道 茶碗 茶道具 花押印古書古典籍 大正2年発行 天下布武 ②E。紫式部が「蛍」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。三月堂 安藤正輝 安藤更生 昭2 仏教美術叢書 仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗臨済宗 戦前明治大正古書古文書OM。詳細な理由は下記説明欄に記載押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。1940年 支那 現勢圖 汪精衛政府 地図 検索:満蒙 新京 鄭孝胥 関東軍閥 溥儀 総督府 南満鉄 馬賊 蒋介石 張景恵 生写真 古建築 中華民国帝国。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
「蛍」の巻は英文で「Fireflies」と表記されます。女学講義 大日女學會 明治三十七年九月廿五日 第四回 後期 第二巻・拾巻・十五巻・廿四巻、第七回 前期 第九巻~廿三巻 8冊 全12冊。
《自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。Y3B3-240510 レア[和歌梯 文化11年 北村四郎兵衛 葛西市郎兵衛]女郎花。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。野村久太郎著 長田幹彦他文 水島爾保布他画『東都の名妓』大正6年 玄文社刊 大正時代の芸妓写真集 舞妓 芸者。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。日露戦争 日清戦争 画帖 明治期 検索⇒満州事変 光緒皇帝 袁世凱 張之洞 西太后 生写真 関東軍 奉天 大清帝国 李王家 朝鮮王族 支那 李鴻章。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。東洋政治思想史 村岡典嗣述 手製ガリ版 昭17 法学 日本思想史 東北大学 検) 日本史尾崎紅葉戦前明治大正古書和書古文書写本古本OD。)
「自筆原本」
自筆右下四つの印のうち上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。近世木活続貂 上・下2冊 青裳堂書店古書目録 平成22年。
下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。格安・稀★酒井勝軍編(吉良義風原著)『上記鈔訳』(全2巻揃)国教宣明団・昭和13年ーウエツフミ・神代文字・ヒヒイロカネ・竹内文献。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。当時物 風俗画報 第214号 明治33年8月 各地の納涼 徳島冨田橋乃上 納涼の図 浮世絵 木版。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。山鹿流兵法書并築城書之一括 山鹿素水自筆本并大垣藩士山本多右衛門自筆本他 寛延期〜明治初期。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。C61-063 大岡仁政録 八 九 全体的に汚れ・折れ多数有り レトロ。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。和本「戯場訓蒙図絵」江戸時代文化期 8巻/3冊揃 式亭三馬/著 勝川春英/歌川豊国/画 喜多川歌麿1枚有 絵本 滑稽本類 中本 保存良好。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。基督教年鑑 昭24 日本基督教団 キリスト新聞社 キリスト教新約聖書神学宗教学 カトリックプロテスタント教皇ルターカルヴァン戦前福音書OF。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。郭注莊子 郭象 10冊揃 天明3年 荘子 道教 注釈書 春秋戦国時代 西晋 漢文漢詩漢学 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。松本愚山著 森島長編 『愚山先生文稿 前集』(全2冊揃)活水軒蔵板 江戸時代和本 漢詩文集 漢詩集 漢文集 愚山文稿。》
《こほ(滞)り給ひ、》・・・・・姫きみ(君)もかく
こと(事)たかふさまにて物し給へは、いとくち(口)
お(惜)しとおほ(思)す。佛説観無量寿経 江戸期 木版刷 検索⇒ 金剛経 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経 木刻本 白棉紙 清朝 経書経。かのなてしこをわす(忘)れ給はす、
物のお(折)りにもかた(語)り出給しこと(事)なれは、
「いかになりにけん。「古今和歌集」上下/正徳3年/出雲寺和泉掾他発行/上巻前部18丁欠落/2冊。もの(物)はかなかりけるおや(親)の
こゝろ(心)にひ(引)かれて、らうたけなりし人を、
ゆ(行)くへし(知)らすなりにたること。柳亭種彦作 歌川国貞画『浅草苅十社縁起』(全五篇十冊揃)慶應3年刊 江戸時代和本 合巻 草双紙 絵草紙 浮世絵 錦絵。
すへて女子とい(言)はむ物なむ、いかにもいかにも
め(目)はな(放)つましかりける。1931年 陶山紀事 初版 小野賢一郎 民友社 陶器全集 検索⇒ 支那 瑠璃盃 珂羅版 原色図鑑 金石篆刻 青花瓷 影青瓷 宋瓷 官窯 民窯 朱印 図譜。さかしらに我子とい(言)ひて、
あやしきさまにてはふれやすらむ。清刊本『唐六如先生画譜』(全三巻一冊揃)唐本 漢籍 中国画論 中国美術 中国絵画 中国古画論。とてもかくても
きこ(聞)え出こ(来)は」と、あはれにおほ(思)しわたる。C61-094 太平義臣傳 八 全体的に汚れ・破れ・折れ有り レトロ 貴重。
君たち(達)にも、「もしさやうなるな(名)の(乗)りする
人あらは、・・・・《みゝ(耳)とゝめよ。森琴石編『皇朝清国名家画帖 全』明治13年 吉住音吉他刊 彩色木版画譜 明治時代和本 中国絵画 中国美術 日本美術 文人画 南画。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。経文 御文章 和本-写本 文明6-8 文明6-8。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《源氏の君が直衣の袖に蛍を隠し姫君の部屋の前で光を解き放つ有名な場面》
《源氏の君が放つ蛍の光に驚く姫君を描いた「源氏物語」の有名な場面を記した原文》
《五月五日、端午の節句・宮中での競射と競馬を源氏の君が玉鬘の姫君と見学する》
《紫の上と源氏の君が宇津保物語についてお話をされる》
《内大臣(昔の頭中将)名声や権勢を誇り娘たちの入内を夢見る》
《大臣(源氏の君)の何事も思いどおりになる名声や御威勢にまかせて、
みなひとかどの地位につかせていらっしゃる。□敦煌吐魯番研究 8冊セット 北京大学出版社,中華書局[管理番号105]。
娘はそうたくさんおありでないのに、弘徽殿女御(こきでんのにょうご)も
ああして期待しておられたことがそのとおりにならず、》・・・・《雲居雁の姫君も
あのように思いに反する有様でいらっしゃるから、まったく残念なお気持である。四清印譜 検索⇒金石篆刻 書道 封泥 朱印泥 雅印存 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 将軍印 落款印 花押 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。
あの撫子(なでしこ)の姫君(夕顔の娘・玉鬘の姫君)のことをお忘れにならず、
何かの機会にもお言い出しになったほどなので、
(内大臣)「あの娘(夕顔の娘・玉鬘の姫君はどうなったことだろう。原拓本 漢画像磚 検索⇒玻璃版 墨拓 珂羅版 墓誌銘 支那 朱印譜 法書帖 金石篆刻 拓片 羅振玉 呉昌碩 翁方綱 董其昌 趙子昴 王義之 米元章。
どことなく頼りなかった母親(夕顔の君)の了簡から、いかにもかわいらしい
子だったのに、とうとう行方(ゆくえ)知れずになってしまった。古文書「伊勢神宮 道中日記」明治二十三年 肉筆 お伊勢参り お蔭参り 参拝日記 信仰 旅路 記録 宿場 資料 75P 良好 (御朱印 和本。
だいたい女の子というものは、どんなことがあろうと目を離しては
いけなかったのだ。農具便利論 全3冊 大蔵永常 和本 農業 【A14】。今ごろいい気になってこのわたしの子だと名のり、
みじめに落ちぶれた身の上でさまよっているのではなかろうか。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第4号 松本楓湖 津江秋芳 大倉書店]北条時宗 元使を斬る図。
どんな格好にせよ、申し出てきてくれたら……」
と、内大臣(昔の頭中将)は、しみじみ懐かしがっていらっしゃる。【増補 大萬蔵節用字海大全】 片山敬齋遺稿並書 池田東籬亭閲正 文政11年。
ご子息たちにも、
(内大臣)「もしそのような名のりをする
者がいたら、・・・・・・《聞きのがさぬようにしておくれ。Y3B3-240517 レア[新訳 日本外史 昭和11年 1936年 津田正男]。》
注記・原文の内容は、内大臣(昔の頭中将)が、自分の娘(雲井の雁の姫君と玉鬘の姫君)が、将来入内し帝の后として立后し、帝の外戚としての地位を得ることを夢に抱いていることが背景としてあることをうかがい知ることのできる場面を記している。1932年 陶山紀事 小野賢一郎 民友社 再版 陶器全集 検索⇒ 支那 瑠璃盃 珂羅版 原色図鑑 金石篆刻 青花瓷 影青瓷 宋瓷 官窯 民窯 朱印 図譜。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。C65-021 智永真草千字文 春潮社。
《Fireflies(蛍)》
The prospect of having the other do poorly did not
of course please him.
He had not forgotten the lady of the evening faces.
He often spoke of her, and he went on wondering
what had happened to the child.
The lady had put him off guard with her gentleness
and appearance of helplessness, and so he had lost a daughter.
A man must not under any circumstances let a woman
out of his sight.
Suppose the girl were to turn up now in some outlandish guise
and stridently announce herself as his daughter―well,
he would take her in.
"Do not dismiss anyone who says she is my daughter,"
he told his sons.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《蛍》
次女云居雁希望入,
亦事与愿,内大臣引憾事。写本 使者談 全八巻合本 寛延8年 福井成 越前藩 使者儀礼書 検)福井県 越前松平家 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NZ。因此昔年夕所生的女儿,
他始不忘,逢机会,提到个孩子。x005 大匠新雛形 上下巻 安藤喜助 盛林堂蔵版 明治■和本 建築 大工 装飾 鳥居 欄干。
他想:“个人不知怎了。奥村土牛『スケッチ そのをりをり』大正9年 朝陽舎書店刊 彩色木版画56枚 日本画家の素描集・下絵集。很可的一个女儿,
跟了那个水性花的母,弄得下落不明。【印刷工芸】紫式部「源氏物語 繪合・行幸・柏木」 状態良 日本古典文学会代表久松潜一監修 元箱 昭和47年 y92271191。
可于女子,无如何,切不可以放松。★A24和本江戸天保3年(1832)眼科医学写本「玉泉房流書伝集」巻1~5合1冊/津軽進藤良策/尾州馬島明眼院/古書古文書/手書き。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」蛍の巻の末尾(原本番号21-B)右面と左面の押印。京都史蹟会編 林羅山文集 完 弘文社 昭和5年 戦前 /Y上。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。☆3268和本明治2年(1869)幕末志士作品集「志士小伝/興風後集」合1冊/吉田松陰/高杉晋作ほか/古書古文書/木版摺り。冬姫は内大臣・通誠の養女。稀少★商周青銅器銘文選 4冊 文物出版社 上海博物館 (管理204961416)。
冬姫は通称。金剛般若波羅蜜経 木版刷 検索⇒ 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経 木刻本 筒子頁 殿本 套色印 支那 経書経。正式な名は伊達貞子。長谷川伸旧蔵書 斎藤笹舟(斎藤亀五郎)編『明治戊辰戦争余聞』昭和11年 相馬郷土史研究会刊(福島県相馬郡) 明治維新資料。左端の写真は「蛍の巻」末尾の拡大写真。長谷川伸旧蔵書 金田清左衛門編 山岡鉄舟著 楊洲周延画『戊辰解難録 全』明治17年 金清堂刊 明治時代和本 江戸無血開城顛末記 明治維新資料。
左上の篆書体は、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、
馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、
馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。長谷川伸旧蔵書 保勲会編『戊辰戦記後編 全』明治32年刊 明治時代和本(和装活字本)戊辰戦争 会津戦争資料。
篆書体の右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。佐久間象山『象山先生印譜帖』佐久間象山先生遺墨刊行会刊 橋本関雪題字 印譜集。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。『浮世絵名作撰集』(手摺浮世絵木版画全24枚揃)昭和44年 五都浮世絵保存会 喜多川歌麿 鳥居清長 鳥高斎栄昌 細田栄之ら 大判錦絵 美人画集。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(蛍の巻)MRI 25―20B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・蛍の調度品」の資料
下記写真は、源氏の君が兵部卿のために袋にいれた蛍を御簾の中に入れる場面を記しています。東京名勝画詞 増山守正・編 明治24年 全4冊 和本 古文書。
左が玉鬘の君、右が兵部卿。k◇ 江戸期 写本古文書 師鑑抄天理巻第1~10 絵入り本 1冊 写年不明 48丁 和本 墨書き 軍学 兵法 /A07。右下の玄関から様子を伺っているが源氏の君
上記絵巻は、「源氏の放った蛍の光により玉鬘の君美しさに感動する兵部卿
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。C66-112 北海道水産製造加工品銘鑑 東亜水産新聞社 全体的に汚れ有り レトロ。
源氏物語「蛍」の巻の原本に記されております。華道・遠州流・小堀卓巌・指南書・巻物・5巻セット・No.230907-04・梱包サイズ60。紫式部が「蛍」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「蛍の巻」を書いていることがわかります。池部釣・前川千帆著画 仙台協賛会編『松島金華山 漫画之旅』大正13年 東北印刷株式会社出版部刊(宮城県仙台市)。この原詩の言葉の引用は、「蛍の巻」に用いられていることで広く知られている。金工鑑定秘訣 天地セット揃い 大正6年(1917) 松山堂版/藤井利八/後藤家刀装具/野田敬明/高瀬伴寛/野田政明画/千形仲道/江戸和本/B3227769。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。女人往生勧誘録 2冊揃 五楽隠大玄 明治22 仏教 仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗 戦前大正古書和書古文書写本NS2。
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》の篆書体(てんしょたい)体の漢詩文の落款が押捺されている。新修有職故実 江馬務 木版画2葉(源氏物語・平治物語 武士 浮世絵) 甲冑・武器 流鏑馬 化粧 公家馬飾 昭和6年 ②E。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。新古今和歌集 宮本竹逕 昭和61年 書芸公論社 定価10万円 限定版。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。大正時代!株式!記帳!古書!希少品!企業物!ビンテージ!コレクション!骨董品! 古文書! 物3−5。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。安心浄行 空華道人 昭5 経本 仏教 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗臨済宗 戦前明治大正古書和書古文書OM。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。和本「一休和尚 佛鬼軍 全」天保5年 十念寺十八世/澤了書之 27丁 絵入 木版摺 地獄絵図 鬼神 菩薩 霊界合戦 異本 (江戸 仏画 古文書。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。和本「新刻参補針医馬経大全 冬集」天明6年 馬師問/編 東洋医学 漢方 薬草 資料 江戸時代 古文書。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。長谷川伸旧蔵書 関義臣編『藤島余芳続編 全』明治37年 松邑三松堂刊 福井県福井市「藤島神社」新田義貞資料 明治時代和本(和装活字本)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。名乗指南 名字指南 黒河芳蘭 文久2年 苗字必称義務令 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NZ。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。清朝 咸豊年 佛経 肉筆 経折本 写経 検索⇒木版刷 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経書 書道 木刻 筒子頁 拓片 印譜 佛教 親筆。撮影後、展示のために再表装をしております。金寶山 浄智禅寺 関口泰 昭16 臨済宗円覚寺派 鎌倉五山第四位浄智寺 仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞密教禅宗戦前OM。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【複製】【風車】 影宋本 備急千金要方(千金方)◎孫思邈 医学書◎35冊揃 昭和49年 限定500部 定価28,5万円 毎日新聞社 専門書。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。■『日本年表(「帝國紀年私案」改題版)』落合直澄著。明治21年上梓。著者は国学者・落合直亮の実弟。神代文字「日本古代文字考」等を著す。。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。『皇漢名人書画帖 全』明治13年 宮崎熊吉刊 彩色木版画譜 明治時代和本 頼山陽 大倉雨村 渡辺崋山 姫島竹外 望月玉渓 田能村竹田ら。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。基督教年鑑 昭11 日本基督教連盟 キリスト教新約聖書旧約神学宗教学 検)カトリックプロテスタント教皇ルターカルヴァン宣教師戦前福音書OF。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。林鵞峰(林恕) 『職原抄聞書』(全八巻八冊揃)延宝2年 銭屋儀兵衛刊 江戸時代和本 有職故実書 林羅山子息。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。☆E0345和本明治2年(1869)三業惑乱の大紛争写本「廓亮御問尋記」1冊/仏教/浄土真宗/大瀛/古書古文書/手書き。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。★Z17和本江戸寛政7年(1795)大阪の粋人の伝記「当世癡人伝」3冊分合1冊/鼇道人/絵入古書古文書/木版摺り。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。長谷川伸旧蔵書 北遊山人撰 歌川芳雪画『淀川合戦見聞奇談』(全3冊揃)慶應4年 松岡栄作他刊 江戸時代和本 合巻 彩色木版画多数入 浮世絵。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。加賀藩士【岸井静斎(静斎孝次)筆】『自画寫照之圖・岸井太助・岸井宗之妻』三幅 掛軸〔肉筆真作〕/石川県 金沢 古文書 絵師 画家人物資料。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。■『ウエツフミ(上記) 巻1~巻41・附録』全巻22冊揃。昭和12年刊。神代文化研究會發行。■安藤一馬編輯。神代文字資料・貴重文献。。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。缶盧印存 山紫水明処 須静堂 清間堂 検索⇒印譜 金石篆刻 書道 封泥 朱印 雅印 遊印 石鼓文 金文 篆印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。古文書 和書 「牧野系図」 笠間藩 茨城県 笠間市 新潟県 長岡市 歴史資料 牧野氏 系図 藩主 (レターパックライト発送)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。C66-110漁業手形制度早わかり 安藤文一郎 書き込み・全体的に汚れ有り レトロ。母は後水尾天皇皇女女二宮。Y3B3-240517 レア[校註 徒然草 明治35年 佐々木信綱 博文館]兼好法師。実母は近衛家女房(瑤林院)。川畑契水『皷胴集 上巻』大正11年 芸艸堂刊 彩色木版画譜 雅楽器・神事用小鼓など全25図 鼓胴集 太鼓 神道資料 和楽器 漆工芸 漆芸。幼名は多治丸。脇坂義堂著 下河辺拾水画『やしなひ草』(全2冊揃)天保9年 河南儀兵衛刊 江戸時代和本 手島堵庵門下の心学者 心学書 絵入本。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。古刀銘盡大全 全9冊。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。Y3B3-240510 レア[日本歴史画報 第5号 明治25年 松本楓湖 津江秋芳 大倉書店]上杉謙信塩を敵国に輸る図。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。Y3B3-240517 レア[唐詩選国字解 南郭先生弁 江戸書肆 嵩山房梓 文化再板 まとめて4冊セット 文化11年]。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。柳屋主人三好米吉/仲古谷津友吉他編 浪速短冊研究会同人跋『賀茂川』限定300部 昭和3年 杉本要他刊 古短冊集 本居宣長 上田秋成 林羅山ら。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。書道 手本「臨鄭文公之碑」墨筆 折帖 全10冊 在銘 各カバー 顕彰文 六朝楷書 (中国 鄭道昭。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。「延喜式」/神祇巻 巻1~巻10/寛政7年/河内屋太助他発行/全5冊。
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